日本語教育シンポジウム「ひらく・つなぐ・つくる 日本語教育の現場」国際交流基金関西国際センター

国際交流基金関西国際センター

報告レポート

「日本語でケアナビ」と実践的コミュニティー

イントロダクション

パネルディスカッションでは、看護・介護場面で役に立つ和英・英和辞書機能を持つインターネットサイト「日本語でケアナビ」の開発をめぐって、国際交流基金関西国際センターの開発メンバーと、医療英語通訳翻訳、ノンネイティブ日本語教師、Webデザイン、ホームヘルパーら、関係領域との協働をテーマに、それぞれの視点から語られました。

出席者は90名近くで、会場はほぼ満席でした。はじめにモデレータの田中哲哉さん(国際交流基金関西国際センター)からパネリストの紹介があり、発表が始まりました。

日本語でケアナビの紹介

まず、上田和子さん(国際交流基金関西国際センター)から、実際のサイト内容の紹介をかねて「日本語でケアナビ」のデモンストレーションがありました。多彩なことばの検索方法や日英のページ切り替えのほか、介護独特の表現にはイラストが提示されていることがわかりました。続いて、「日本語でケアナビ」開発の目的やプロセスについて語られました。開発当初は「看護・介護分野で働く人の日本語教育支援のため、日本語教師として何を目指し、どのような方法をとるべきか」、開発チームで話し合いを重ねていったそうです。メンバー個々のケア経験を振り返り、できるだけ具体的に考えるようにしたとのこと。例文では、仕事の場面で使うような表現を、できるだけシンプルな形で提供することをめざしたそうですが、「シンプル」=「簡単」ではないということに気づくことが多かったそうです。また、開発では領域を超えた協力が重要であること、開発者の中にある学びにも注目する必要があることを強調されました。2008年2月末現在で「日本語でケアナビ」へのアクセス数は40万件を超え、「ぜひ○○語版もつくってほしい」など、世界各地から多くの反響が寄せられているそうです。

上田さんの スライド(PDF)配布資料(PDF)

配布資料(PDF)「日本語でケアナビ」アクセス解析レポート

ノンネイティブ日本語教師の視点

フィリピン人日本語教師のジョイ・デヴィラさん(首都大学東京)は、ノンネイティブ日本語教師の視点から「日本語でケアナビ」開発を語られました。ジョイさんが「日本語でケアナビ」の元になるデータベース資料をはじめて見たとき、「学習者には必要なものだ」という直感があったものの、それをどのようにインターネットで実現していくかという点についての実感はなかったそうです。その後、フィリピン人学習者独特の日本語学習上の問題点についての情報を提供しただけでなく、フィリピン人の学習観や文化的背景についても紹介し、それがサイト作りにおいて有益な情報となったそうです。このように、ノンネイティブ教師として開発の要点でプロジェクトに深く関わることができ、とてもうれしかったとジョイさんは語っていました。そして、このような協働が実現されるためには、「お互いの“respect”が大切だ」とおっしゃっていました。「日本語でケアナビ」チームとはそれが共有できたことが鍵だった、それは教師としての「共感力」とも通じるものだということです。ジョイさんのいう共感力とは、1)「日本語でケアナビ」開発チームとの共感、2)サイト利用者(日本語学習者)との共感、3)日本語教師同士との共感、の三つにまとめられるとのことでした。今後も引き続きこのプロジェクトへの貢献を惜しまない様子でした。

ジョイさんの スライド(PDF)配布資料(PDF)

医療英語翻訳の視点

医療英語翻訳を担当された水野真木子さん(千里金蘭大学)は、「日本語でケアナビ」データ翻訳についてのご苦労を語ってくださいました。実は、翻訳を担当なさった方々は、各分野でプロとして通訳翻訳をなさっておられたり、医療従事者、英語ネイティブの医療従事者もおられるとのこと。にもかかわらず、「日本語でケアナビ」には独特の苦労があったそうです。それは、日常的な動作の表現や、痛みなどを表す擬音語・擬態語、さらに幼児語など日本語の場面に応じた多彩な表現をどのように的確に表現すべきかとう点にあったそうです。

日常表現の翻訳の難しさの例として、たとえば、「日本語でケアナビ」の例文には日本語らしさを目指すため、主語がない文がたくさんあるのですが、それらを英訳する場合には適切な主語を補う必要があること、また日本語の表現に引きずられて、どのような状況で使われているのかということを見誤ると翻訳できないことなど、「お風呂が沸きましたよ」というごく日常的な表現の英訳を例に紹介してくださいました。さらに、看護や介護の専門用語の翻訳にも悩まされた例としては、「肩肘立ち」ということばが例に挙げられていました。これは日常的な動作ではなく、麻痺がある人の動作なのですが、一体どのような動作を示すものなのか、ことばを翻訳するのではなく、動作そのものを翻訳する必要があったそうです。そのほか、擬態語や擬音語は英語では動詞で表すことが多く、日本語の意味と一致しないものがあるそうです。また、「まんま/お食事=food」「おべべ/衣服=cloth」のように幼児語と成人語の区別がないものもあるそうです。このように、一口に翻訳といっても、現場特有の状況とそれに相当する表現や、生活に密着した表現の翻訳をする場合、背景にある文化への理解や体験が必要であると強調されていました。

水野さんの スライド(PDF)配布資料(PDF)

ウェブデザインの視点

ウェブデザインを担当された角南北斗さん(国際交流基金関西国際センター)は、まず「日本語でケアナビ」におけるデザインを、「デザイン=利用者がデータにたどりつくための道筋をつくること」と定義し、「日本語でケアナビ」を「使いやすいもの」「親しみやすいもの」として提供するための工夫と試みについて語ってくださいました。「日本語でケアナビ」には、ほかのサイトにはあまり見られない機能が盛り込まれているとのこと。発表では、特にウェブでの「見せ方」に絞って語ってくださいました。

事例1:二つのモード
「日本語でケアナビ」は日本語版とローマ字英語による「English版」とがあります。多くのサイトでは、通常トップページからしか言語モード(日/英)が選べないものが多いそうですが、「日本語でケアナビ」では、どのページからでも日英モードが切り替えられるようになっているそうです。さらに、日本語版でもEnglish版でも、表示項目や内容は同じで、モード間で情報に違いがないようにしたということです。
事例2:検索支援
空欄に文字を入力してことばを検索する機能では、日英どのモードからも、仮名/漢字/ローマ字/英語で検索できるようになっています。これも他のサイトではあまりないそうです。日本語の表記について、ローマ字表記と送り仮名が取り上げられました。学習者の多様な綴りに配慮して、「byouin」からでも「byooin」からでも「病院」が、「申し込み」からも「申込」からも「application」がヒットするように工夫をしたとのこと。このような工夫の背景には、「日本語版=日本人、English版=学習者、という図式ではなく、日本人もEnglish版を見ることがあるだろう。上級学習者には、日本語版を使いたい人もいる。利用者は多彩なはずだから、それを事前にこちらが制限する必要はなく、誰でもがどのページも利用しやすくするすることが大切だ」、という考えがあったからだそうです。

角南さんの発表はわかりやすく、会場からも感嘆の声があがっていました。

角南さんの スライド(PDF)配布資料(PDF)

学習者の視点

エンドユーザー代表は、すでにフィリピン人ホームヘルパー(1級取得)として活躍中の原田マリアフェさんです。田中モデレータとの掛け合いで、介護現場で使う日本語について、学習者の視点から現場の人ならではの苦労をお話してくださいました。

《読み書き》<話す・聞く>より<書く・読む>方にすごく時間がかかるそうです。たとえば、利用者さんの家で仕事をするとき、利用者さんの様子を見てそれを記録することが大切。その記録は利用者さんの家族も見るので、緊張するそうです。そのあとどんな仕事をしたか、同僚に対して引継ぎのために書くことも必ずしなければならないとのこと。最近は書かないといけない記録や作成資料が多くなってきているので大変。

《敬語》在宅介護の現場では、相手や場面・状況によって、敬体/丁寧体/普通体を使い分けることが大切で、難しい。「ケア・カンファレンス」といって、関係者がみんな集まってケアの方針を決めるときもいろいろな話し方があるので、はじめは緊張したそうです。

《方言》普段、利用者さんとはほとんど方言で話している。親しくなるほど“方言”でのやりとりが多くなるそうです。

《「日本語でケアナビ」について》パソコンで調べられるので、便利。実は、さっき発表での説明を聞いて、初めて知った機能もあったそうです。画面にはいろいろな情報があるので、どこからクリックしていいか分からないと感じることもある。でも「声かけ表現」のはとても参考になるそうです。はじめてケアの仕事をしたとき、一般的な表現以外に、あまり挨拶のことばを知らず困ったそうですが、「声かけ表現」にある表現は場面に応じて使えるので便利、ということでした。

原田さんの スライド(PDF)配布資料(PDF)

ディスカッションのまとめ

最後にコメンテータとして、石井恵理子さん(東京女子大学 准教授)がパネルディスカッションをまとめてくださいました。

どの発表からも、多くの刺激をうけました。「日本語でケアナビ」開発を見ていて、具体的状況から離れずに徹底的に作るという姿勢に感銘を受けました。これは日本語教育全体を考えるときにも心に留めておくべきことだと思います。特に顕著なのが「声かけ表現」でしょう。介護・看護のこの場面で、誰がどんなことばを使うかとう発想から出てきている表現を提供している点が重要です。そこから、誰でも使っている無難なことばではなく、「私」という個人を届けたい時にその表現を持っているのか、ということを考えさせられました。あらためてコミュニケーションとは、誰が誰にという場面がなくてはならないことを教えてくれています。

Web素材を提供することには、作り手であるネイティブスピーカーの意図を超えたところで使われている可能性があり、そこに学びの場があることも見えてきます。

パネルディスカッションのタイトルでもある「実践的コミュニティー」を考えたとき、今後「日本語でケアナビ」を使って学んでいく人々には、実際に働く場面が新たに登場することになるでしょう。そこには、要介護者をはじめ、日本語教師以外のネイティブスピーカーの存在もあります。そこでコミュニケーションを行っていくとき、その場で関わるもの同士の努力が必要になるでしょう。つまり、日本語を学習する努力は、ノンネイティブ側に求めがちですが、受け手であるネイティブ側はどのような努力をしているか、それが問われていると思います。ことばだけを切り取った世界ではないからです。そこには、ノンネイティブ教師の立場から語られた「respect」ということば大切になると思います。

「日本語でケアナビ」に寄せられた多くの反響から、作り手側の振り返りも促す結果を招いていることがわかります。ことばが使われる実践的コミュニティーに関わる人たちへのフィードバックになっていくこと、これは日本語教育でも考えていくべき重要なポイントだと思います。

パネルディスカッションを終えて

参加者の方々から「とてもよかった」という率直な反響が多く聞こえてきました。同時に、要求も聞かれました。

  • 使う人を考えたデータベース作りの大切さを認識した。
  • 他分野との連携の様子がよく分かった。
  • 日本語教育が変わっていかなければならない時期に面していると感じた。
  • ノンネイティブ教師としての役割の重要性を実感した。
  • エンドユーザーをパネリストとして加えたのがよかった。
  • 質疑応答の時間が欲しかった。
  • 具体的な使い方をもっと知りたかった。

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